fragment

-下書き-

あるぼやき

考えて考えて考えすぎて、ぐるぐるして

そんな風にしか生きれない人だっている。

 

----

 

映画は癒しだ。

 

年末に録画しておいた、「荒野の七人」と「大統領の料理人」を観た。

 

「大統領の料理人」

物語として面白かったわけでもないけど

与えられた仕事に信念とプライドを持って、懸命に働く女性シェフの姿にはなんだか癒しをもらえたみたいだった。

フランス大統領に仕えた二年間の話だったわけだけど、潔くて物事を自分で決めていて、考えていないわけじゃなくて、でもあまりぐるぐるしていなかった。自分に自信があるんだろう。軽やかさに憧れる。

料理はいい。工程があって結果があって確実に人に何かを与えられる。満足と、もしかしたら感動を。

美しい結果が得られるなら、料理人というのも素敵だなと、鑑賞後に思い始めるぐらいにはなっていた。いつもの軽率さ。

普段、弁当もまともなご飯も作るわけでもないから周りの人は信じないかもしれないけど

私は本当は料理はかなり好きなのだ。

だから映画の中で大統領がレシピの本の話をしているのは興味深く聞いていた。

ピエール・コルネイユの故郷からよく肥えた鴨を取り寄せて...

「フランス料理賛歌」にあるレシピはそう始まるんだそうだ。

しゃれている。

そうだ、レシピの本っていいんだよな。

映画は本当にもっかい言うけど面白いとか感動があるわけでもなかったんだけど(ディスりではない)

洒落たレシピ本など読みたくなるようなワードと画面の美しさ(料理)がちりばめられている。そうだ、私は料理の本が割と好きだった。それこそ「フランス料理賛歌」を読みたい、今。

 

映画を観るのは、いつの間にか忘れていた自分の欠片を、拾い集める作業に似ている。

 

 

----

 

最近

 

ひどい気分の日が続いていた。

考えて考えて考えすぎるしかない人だっているんだよ

 

自己嫌悪で闇にめり込みそうな日もある

今日はひどい気分だけどそのうち持ち直すだろう

明日から明後日か、一年後かもしれない

それでもその日のために

どんなに足が重くなっても進まない選択はない

 

さあもう思うように泣いてもいいぞとなった時には涙がひっこんでいたりする

ホームに降りたら、人気のない道に入ったら

それまであと少しだからと思うのに

ついには一筋こぼれ出した

馬鹿だな....

 

----

 

泣きながら中央線に揺られた日のことを思い出した

まだ人もまばらな早朝の東京行きの

一人で、少しでも早く、と。

本当はあの日からずっと苦しかったのかもしれない

近くにいなかったくせに、でも仕方がないなんて片付けられずに。

会いに行こうと、お見舞いに行こうとしていた、次の朝だった

 

ようやく気付いた。

悲しいことはその先もずっと悲しい

「悲しくなくなる」ことはないのだ。

 

いつもぐるぐると考えているのに、そんな単純なことにも気付けずに。

窮屈になったらいまの場所を棄てて跳べるほど軽くもなれなくて。 

 

-----

 

ひどい気分が呼び水になって

辛い思い出まで掘り起こしてぐちゃぐちゃな感情になっていた。

 

誰かにわかってほしいわけじゃない

でも忘れられない、強烈な痛みなのだ。

 

それでもこんな日のこの感情を大事にしなければならない。

無駄にしてはいけないと

早く過ぎ去って忘れたいと思う一方で

そんな風に、思うのだった。

 

-----

 

映画を観ると、馬鹿みたいな感想だけど、みんな頑張っているよなと思えて

やっぱり癒されるのだ。